シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

晩秋の春風

テラスに話をした翌日、思いがけず、1本の電話がかかってきた。S病院秘書時代、医局にいたQ医師からである。

「ちょっと、話を聞いたんだけど……」と心配そうにきり出すQ医師。とりあえず、病の騒動の経緯を説明すると、「流れ的にはうまいくつなげているようだから、あまり心配せずに、そのまま進めばよいと思いますよ。ほかの人にしてもらえることは、この際まかせてしまって、さゆりさんはさゆりさんにしかできないことを淡々とね」と、冬の入り口のこの季節に、春風が吹き抜けるような言葉が返ってきた。

医局時代、難局に直面して立往生する患者さんや家族に、時間や労力を惜しむことなく丁寧に寄り添う背中に心を打たれていた。その風をこんどは受ける側に立ったとき、なんて暖かい風だろうと、その体感温度に冷えきった心と体がブルっと震える……

「それで……テラスちゃんには話したの?」まだ医局を走り回っているころのテラスを知っているQ医師がつづける。そういえば、S病院は患者さんの子供たちのケア(チャイルド・サポート・プログラム)にも行き届いた所だったとあらためて思い返しながら、「受験生ですので、受験がおわるまで話さずにいようと思っていたんですが、ちょうど昨日、父の助言もあって……」と、顛末を説明——

このとき、テラスは隣室で勉強中。「(The Lord of the Rings のホビットの家」と形容するくらいちいさな家であるから、話している内容は筒抜けなのだが、「すべて話している」という安心感が、さゆりをその状態のまま信頼できる人との話に集中させくれる。ちなみに、その日は休業初日だったが、その件も合わせてテラスに話してしまったおかげで〈受験まで、毎朝それらしい支度をととのえて、図書館かカフェに「出勤」する〉という当初の計画の手間も省くことができた。——この点も含め、父に感謝である。

「そうか……でも、それはよかったね。僕もお父さんの意見に賛成です」そう述べると、Q医師はいとも自然にこう続けた。「……で、テラスちゃんだけど、今、電話口に出られるかな」部屋へ移動して声をかけると「Q先生? えーなつかし~」とテラスはすぐにシャープペンシルをおき、嬉しそうに電話をとりあげた。

「久しぶりだね。どうですか、勉強ははかどってる?」タイミングから風量・角度にいたるまで、慈しみの心によってコントロールされた春風は、15歳の心にやさしくそよぎかける——「ところで、お母さんの件、びっくりしたと思うけど、きちんと治療すればもとの健康なお母さんにもどるから、テラスちゃんは安心して、いちばん入りたい学校めざして勉強してね。それでときどき、お母さんにもやさしい言葉をかけてくれると嬉しいな」

季節外れとはいえ、なんと絶妙なタイミングで吹く春風かと、昨日以来、やや緊張気味だったテラスの横顔がすこしずつほぐれていく様子をながめながら、さゆりは心のなかで手を合わせた。

その夜、テラスが塾へ行ってしまうと、シーンという音に耐えられずつけたラジオから流れてきたのは、ザ・ビートルズの  "Let It Be"  だった(以下の日本語は、そのときさゆりの頭に響いていたニュアンスを日本語におきかえたもの)。

〈When I find myself in times of trouble つらく苦しいとき Mother Mary comes to me 母が降りてきていったんだ Speaking words of wisdom, let it be 「すべてまかせなさい」って〉

〈And when the night is cloudy 暗い夜の闇のなかで There is still a light that shines on me 照らしてくれる一筋の光 Shine on until tomorrow, let it be そのまま夜が明けるまで照らしてくれるから あなたらしく そのままで〉

〈Oh, there will be an answer, let it be これもきっと何か意味のあることだから Let it be, let it be 大丈夫 そのままで〉

人生において何百回、何千回と聴いてきた歌の詞が、このとき心の底まで響き、涙がとめどなくあふれてくる。曲が終了したときふと浮かんだのは、まるで漢詩の世界のような、春風に身をまかせるたおやかな柳の木だった。

 

 

Let It Be

Let It Be

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