シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

遠近両用メガネ

このあたりで、わが相棒、テラスを紹介したい。

「どんな子供か」と聞かれたら、「丈夫で手のかからない、人生のよき相棒」と答えるだろう。英語で分娩・出産のことを "delivery" というが、一目見たとき、その黒目の奥の光を見て、「神さま、コオノトリさん、ありがとう」と手を合わせたことを覚えている。

ピュアな半面、baby のころからどこか大人びた面も兼ね備えていた。暮れに、おむつ替えをしてもらったことのある友人に会ったとき、「おむつを替えやすいように、こちらの動きに合わせておしりをクッと上げるの。こんな赤ちゃんいる~? って驚いたよ」などと当時を回想していた。

さゆりは母親デビューのころから「子供はわが師匠」と自分にいい聞かせ、小さきながらもリスペクトをもって接するよう心がけている。1つには、母が他界した後にさずかった子供だから、「母の生まれ変わり」ととらえたのかもしれない。ともあれ、こちらが学ぼうとするかぎり、この「小さな師匠」は無限大の教えを与えてくれる。

何より教えられたのは、物事を多面的にとらえる力である。たとえば小学校に上がったばかりのころ、大量に購入した飲料水を「わずかな距離だから」と両手に数本ずつもたせたところ、最初は苦心していたものの、すぐに運ぶコツをつかみ、先に行って家の鍵を開けようとしていたさゆりに向かい、家へつづくさいごの坂道を勢いをつけて下りながら、

「見てみて~! 7さいの女の子が2リットルの水を7本もって、坂道をかけおりてくるよ~」となどと叫んでいた。

また同じころ、法律の勉強に余念がなかったさゆりは、合間にときどき「ミナミの帝王」という映画シリーズを観ていたが(主人公が事件の解説をするとき、下に民法の条文テロップが出るのだ)、それが時おり、ちょっと暴力的すぎたりエロティックだったりする。あるとき、テラスが近くに子供用椅子をもってきておやつを食べ始めた瞬間、画面が肌色一色に変わってしまったことがあった。この状況をどうしたものかと思案しはじめた矢先、ぱっと顔を上げたテラスに、

「ねえ、ママ。これって小学生が見ていい映画?」

とたずねられたのには面食らった。

これは、テラスが「じーじ」と呼ぶさゆりの父親にも共通する性質だから、もしかしたら隔世遺伝かもしれない。父のエピソードも枚挙にいとまがないが、たとえばまだ実家住まいだったさゆりが、半年ごとに山の上と下で生活するどこかの国の一家のドキュメンタリーを見ていたときのこと。下界にいた一家が、いよいよ隊列をなして崖に面した細い道を不自由な山の上へ登っていくシーンで「ただいまー」と居間へ顔を出した父、

「おおー、食料が自分の足で登っていくぞ~」

と言ってすぐに自分の部屋へ行ってしまった。その隊列の中には、たしかに荷物をくくりつけられた山羊が数頭まじっていた。荷物運搬用としか認識していなかったさゆりは、「ミルクをとって、さいごは潰して食べてしまう」ところまで発想が追いつかず、わが父ながら、その「遠近両用メガネ」的発想をうらやましく思ったものだ。

ちょうど「一連の騒動」の最中にも、テラスは近くのイタリアンレストランへ行った折、ランチコースのデザートが「お楽しみケーキ」とあるのを見て、「これはお店側から見ると、ケーキの売れ残りがなくてよい戦法だよね」などと言っていた。

それなのに……いちばん「こちら側から見てほしい」と願う(じつは心身の弱っている状態の)さゆりを見ても容赦なく、「ごはんまだ~?」「チャージ代ちょうだい」「わかった!(「うるさい」という意思表示代わりの💢マークつき)」などと思春期の三大定番語をつきつける。

子育て本には「NOと言わない子供」「反抗期のない子供」には要注意——などと書いてあるが、これも自然な成長の過程なのだと、さみしくお茶をすすりながら自分にいい聞かせる「ティーンエイジャーの母3年生」のさゆりだった。

 

 

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