シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

完熟ドミノ返し

翌日はまた、〈なごみ・やすらぎ〉とはほど遠い日となった。会社を「休職」している状態のため、生活継続のために傷病手当の申請といった雑多な事務手続きをくぐらねばならず、それらの書類を受けとるため、昼下がりのカフェで勤務先の事務担当者と会ったのだが、その背後で指示を出しているであろう(パワハラの)相手方の最終週の uncontorolable な状態が思い出され、気分がわるくなってしまった。

その足でもう1件、この職へと導かれた大もとととなる方へ仁義を切りにいく、という重要な用事をすませると、とたんに気力が萎えてしまい、まだ重い腰を引きずって、この世でもっとも落ち着く場所の1つである祈りの空間へ。そこで、天高くそびえる塔に向かって一心に祈り、自己流の「禊」をすませてゆっくりゆっくり帰宅。夜にはちょうど、テラスの新生活用にと携帯電話のポイントをためて購入したラックが届き、「こういうときには単純作業が最適」とばかりに組み立て作業に精を出す。……

ところが――疲れ果てて寝入ったはずが、夜半、左胸に締めつけられるような痛みをおぼえ、目覚めてトイレに行き、テーブルで白湯をすすってみるも、体の変調はなかなかおさまらない。(どうしよう、このまま死んでしまってはまずい)……と、親鳥がもどってこない巣で泣きわめく鳥のヒナを思い浮かべ、「命の一杯」といい聞かせながら白湯を一心に口へ運び、なんとか気をまぎらわせて床へもどる……

けっきょく重苦しい夜はつづき、ともかく不安を1つ1つ払拭していこうと意を決して早朝、重たい腰にムチ打ってS病院へ。土曜の朝の救急外来で心電図と心エコーをとってもらい、「とりあえず、すぐに心臓発作が起こるような兆候は見られません」といわれ、すこしホッとして病院をあとにする。

帰途、わが〈第2の聖地〉である叔母の家へ。今回の病の診断以来、初の顔合わせだったため、心配顔で迎え入れてくれ、勤務先から帰宅した叔父もまじえてパソコンで年賀状の原案を完成させたりと心和やかなひと時を過ごし、夕暮れ時、叔母に車で送られて帰宅。まだまだ元気な叔母夫妻をながめるのは楽しいが、こちらが気遣ってあげなければならない年齢となった叔母に送られて帰ってくる身の侘しさもあり、(早く元気になってこちらがケアする側に回らねば)との思いを新たにする。

その夜、思いがけない電話が――。発信者は、さゆりと同時期につらい思いをした友人TK嬢。いわく「近々、大切にしていたものを手放すことにしたので、少額だけれど、もし治療費やテラスちゃんの入学一時金が足りなかったら使って」と。「さゆりには命を救われたから」(彼女が病気になったとき、執刀医を紹介した経緯がある)との言葉に、人間という生き物の奥深さをしみじみと感じた。われわれは何を学ぶためにこの世につかわされたのか――という命題の答えを、この心清き友人を通してあらためて学ぶ思いだった。

月曜日にPET-検査――がん細胞は正常細胞に比べて数倍のブドウ糖をとりこむ、という性質を利用し、ブドウ糖に近いFDGという成分を体内に注射して多く集まる場所を撮影してがんの分布を見るというもの――を控えた翌日曜日は、本物の「安息日」となった。検査前日に激しい運動すると、疲労回復のため使われた筋肉に糖分が集まってしまい正しい診断ができなくなるため、「検査前24時間以内の運動」は厳禁とされていたのである。

そこで、それを理由に家の中でぬくぬくと読書に勤しみ、合間に友人3人と電話。うち2人はTK嬢とも仲のよい同級生だったため、「申し出が本当にありがたかった。たとえ借りる場面は訪れなくても、『貴女のことを思い、ここに控えているよ』というメッセージにどれほど勇気づけられたことか……』という話をすると、「昔から、心優しい人だったからね。人ごとじゃないんだよ、きっと」と1人。別の1人もしみじみうなずき、「(TK嬢とも仲よしの)YKにも『病気のこと、さゆりから聞いた』とLINEしたら、あの、いつもLINEの応答がみじかいYKから『皆で円陣組んでさゆりを守ろうね』ってめずらしく長い返信がきて驚いた」と、これまた泣ける話をしてくれた。

「人生はいったん穴に落ちると負の連鎖が起こる」――そんな話を昔、戦争体験のある祖父がしてくれたことを思い出す。それが今、世の摂理として本当によくわかる。たとえば、深刻な病気を告知された場合、そのことがストレスとなってつぎつぎに新たな病を呼びこんでしまう、といったことがある。「心を鬼にする」という言葉があるが、どこかの時点で心を強くし、負のドミノ倒しを食い止め、反対側へ押し返さなければならない。……

そんなことをつらつらと考えながら、気分転換に近所へ買い物に出ると、目にとびこんできたのは円熟期を過ぎても実が落ちない柿の木だった。完熟期を迎え、それでも落ちまいとさらに強固に支え合う実たち――まるでわが同級生軍団みたいだと、その1つ1つの実にTK嬢やYK嬢の顔を投影し、思わず笑みがこぼれる。

「ぜったいに下まで落ちない。『なにがなんでもおちないくん』(←昭和時代に流行った受験応援グッズ。両手にマジックテープがついたかわいいマスコットだった)!」

快晴の空にむかって高らかにそう叫び、ひと気のない午後のなだらかな坂道を、一歩一歩踏みしめながらひな鳥の待つ巣へと食料を運ぶ、PET検査前日の親鳥さゆりだった。