運命の電話
S病院のT医師から電話がかかってきたのは、職場での苦悩をY氏に打ち明けた翌日だった。すでに不眠その他の症状が噴出しており、心身ともに墜落直前の水面ギリギリ飛行状態……まさに「泣き面に蜂」といったタイミングである。
第一報は、留守番電話メッセージによるものだった。いわく、「検査結果が出たので、〇時以降にお電話いただきたい」……その時間まで、ともかく気をそらして他のことに打ち込もうとするが、手元にたしかな感覚はなく、時計にばかり目がいってしまう——。
指定時間を過ぎたころ、携帯電話を手に外出先に向け出発するが、歩けども歩けども発信ボタンが押せず、「このままずっと電話しなかったらどうなるのだろう」などと非現実的な考えまで浮かんでしまう。しかしやはり、直面している相手が何なのかわからないもどかしい時間がいたずらに続くだけ……と観念し、「落ち着いて」「落ち着いて」と声に出して唱えながら電話の発信ボタンをプッシュする——
「……じつは、今回の検査でたまたま、症状とは(関連のなさそうな)〈別のもの〉が見つかったんです。いちど外来へお越しいただき、今後の検査や治療についてご説明したいのですが……」
電話口のT医師は、やわらかくも慎重な声でそう告げた。
S「それは……命にかかわることですか?」
T「今すぐ命にかかわる件ではありません」
S「私、シングルマザーで、一家でただ1人の稼ぎ手なんですけれど……」
T「それも含めてご説明します」
こうしたやりとりの中で、このときいちばん苦慮したのは、「当日、どなたか必ず付添人を連れてきてください」と言われたことに対する返答だった。さゆりの現状といえば、伴侶はなく、娘はまだ中学生で、父は健在なれどすでに80歳に達している……
そこで、それらの状況を説明した上で、「そちらでの秘書歴が長く、元上司のR先生とは家族ぐるみのおつきあいですので、R先生に同席していただけると心強いのですが……」と提案してみた。すると、「おお、それはこちらも心強い。では、今からお電話してお話ししていいですか?」と尋ねられたため、「さすがにびっくりされると思いますので、まず私からご連絡いたします」と述べると、「それがいいでしょう。では、R先生が同席されやすいように、さいごの患者さんの後に予約を入れておきます」
ということで、面談日は翌々日ということになった。
ドギマギしながらも、T先生の温和な口調とR先生の話題が出たことで、電話をかける前よりも少し気持ちが落ち着いた。やはり、人間は前に進むしかないのだ、とあらためて拳を強く握りしめた瞬間、ふと気配を感じて見上げると、R先生の好きなピンク色の皇帝ダリアが秋空に凛然とゆらめいていた。
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