シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

2018年宇宙の旅

PET検査の当日は、すっきりと目覚めた。「爽快」というよりは、凛と張りつめていて、どちらかというとOFFに訪れた高原の朝というより、スポーツの試合の朝のような爽快さ――ここまで行ってきた食事制限や運動制限も影響していると思うが、一種独特な空気感のなかでプシューッと音をたててドアをひらく地下鉄が、まるでNASAまでこの身を運んでいってくれるスマートな乗り物のように光って見えた。

通勤客にまぎれて病院へ到着すると、ナースと予行演習でたどったルートを思い出しながら、下りのエレベーターにのり、PET検査室をめざす。はじめて足を踏み入れた扉の内部は、予行演習の折に想像した冷たい地下神殿のような場所ではなく、人々がせわしなく行きかう明るい銭湯の玄関のような場所だった。

前の人にならって靴を脱ぎ、靴箱にいれると、銀河鉄道999に出てくるメーテルのような笑みを浮かべた(ただし体型はずいぶん異なっていたが!)ナースがどこからともなく現れ、無言のまま、入り口付近にあるキャスター付きのカゴを指さす。こちらも無言でうなずくと、上下のカゴに荷物のいっさいがっさいをのせ、静かに押しながら、ふたたび小柄でふくよかなナースに従った。

 

 

ロッカーで上下の検査着に着換え、案内された小部屋でわずかに待たされた後、「放射性薬剤」を注射される。そでまた、小柄なメーテル女史は姿を消し、ややたってもどってくると、また笑顔でさゆりを別な部屋へ連れて行った。

そこは――カーテンで仕切られた、テレビ付きの快適な安息空間だった。

(本物の宇宙飛行士も、ロケットの発射準備を待つ間、こんなところで待機しているのだろうか……)

そんなことを考えながら、安息のために用意された小さなスペースをながめ回し、隣りや、その隣りから聞こえてくる息遣いやテレビ音に耳を澄ましながら、ようやくそろりと長椅子に身を横たえる……

 

 

せっかくテラスにチャンネル権をうばわれることはない独占空間に、家より大型のテレビがあるというのに、スウィッチを押す気にはなれず、サイドテーブル上に置かれた〈PET検査の流れ〉という案内に目を通す……

〈PET検査の流れ〉

1)FDG注射――放射性薬剤(FDG)を静脈注射します。

2)安静――体内に薬剤を循環させるため、60分間安静にしていただきます。

3)排尿――撮影直前に膀胱内にある余分な薬剤を排出するため、お手洗いをすませていただきます。撮影直前になりましたら職員がご案内します。

4)撮影――PET/CT装置にて全身を撮影します。着衣のまま20-30分程度、ベッドの上で安静にしていただきます。ベッドが少しずつ動きながら進んでいきます。呼吸の合図などはありませんが、撮影中は大きくお体を動かさないように気をつけてください。

職員の口数が少なく、すべて案内用紙がたよりなそこは、まるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」のよう。「~ていただきます」という日本語の言い回しさえ、張りつめた空気の中にいるさゆりにはなんとなく動物チックに感じられ、

「ええい、煮るなり焼くなり好きなようにしやがれぃ!」

と、落語の登場人物をきどりでつぶやいてみるが、それでも宇宙へ旅立つ直前のような緊張感はほぐれず、

(漆黒の闇の中で、わが体内に注入された「放射性薬剤」はどのように光り輝くのだろうか……)

などと想像をめぐらせている……

すこしうつらうつらはじめた頃、カーテンがあけられ、案内人につれられていよいよロケット発射台へ。そこにまちかまえていたのは、日本語を流暢に話す(あたりまえか!)検査技師。

「音がうるさいですが、耳栓はできませんのでご辛抱ください。寒いので、毛布をかけます」

などと声をかけられながら、起立の姿勢のままベルトのようなもので固定され、その上から毛布でくるまれ……と全身ミイラ状態。ようやく機械の中へと動きはじめたとき、とどろく轟音のなかで真っ先に頭に浮かんだのは、

(テラスも4~50年後にこんなところを旅をするのかな……)

ということだった。

(私ができるだけひきうけるから、痛い思いや苦しい思いをできるだけすることなく、一生を過ごしてほしい……)

とやや感傷的に。……地球をあとにする瞬間の人間の願いとは、こんなものだろうか。

両手を側面に固定された状態で狭い空間へ入るのは、想像以上に恐ろしかった。時おり技師が発してくれる声が、唯一の救いだったが……

すべてのMUST事項=「~ていただきます」事項(⁉)から解放され、地下の世界から地上へ飛び出すと、あふれんばかりの光の襲来に目がおいつかず、溺れたモグラ状態に……手をばたつかせながら、人にぶつからないよう、壁づたいにそろりそろりと進む。

そうしてすこしずつ目に映ってきたものは、冬枯れの街路樹、人ごみをかきわけて進む配達の自転車、光を乱反射させて行きかう車、揃いのバッグパックを背負った外国人カップル……とすべてが愛おしかった。

(地上へ、生還!)

勝利のパットをカップにおさめたゴルファーさながら、ブラックホールのように人々が吸い込まれてゆく地下鉄の入り口で、空へ向かって両手をあげて快哉を叫ぶ。そこからはかるい足どりで家路をいそぐ、宇宙から帰還したての宇宙飛行士さゆりだった。

*写真は、前職(注:問題の「現職」でない)を去るとき、職場の人たちが開いてくれた送別会でさいごに出てきた思い出深いデザートのプレート。地下鉄内で平常の感覚にもどったとき、がんばった自分(の体)にかけたい言葉として浮かんだのは、この言葉だった。

 

 

 

銀河鉄道999

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注文の多い料理店 (新潮文庫)

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