変装してやってきた祝福
診断結果を告げられた帰り道、夕闇に沈みかけた長い渡り廊下で、「ないほうでなく、常にあるほうを数えなさい」というR先生の教えが頭に浮かび、「今あるのは、とりあえず存在している私の命と、テラスと、2人のささやかな生活と、それを支えてくれる多くの仲間と……」と数えながらあるいていると、向こうから笑顔で手を振り近づいてくる人の姿が見えた。
「やあ、さゆりさん。しばらくぶりですね」――ときどき患者さんの心のケアにやってくるN牧師である。その屈託のない笑顔に、急に涙があふれてくる。「先生……私、たった今、病気の告知を受けてきました」「……おや、それはそれは……じゃ、どこかで話しましょうか」ということで、人気のないの談話室に移動し、複合して訪れた2つの災難について語る――
「……わかりました。まず、病気のことは、こちらの病院の皆さんがきちんと対処してくださると思いますから、私は2つ目のほうを引き受けましょう」――要旨をかいつまんだ話が一段落すると、N牧師はしずかに口をひらいた。「そのことについて、今、つらいと思うことは何ですか?」。
「2つあります。……1つ目は、ずっと話さないで過ごしてきたことを人に話したとたん、押し込められていた感情が一気に噴き出してきて……そのことを思い出すだけで気分が悪くなったり、悪寒がするようになってしまいました。今までハネムーンでの事故や乳がんの手術といった試練を都度クリアし、自分なりにグレード・アップしてきたと思っていたんですが……それって、もうとっくにどこかへ置いてきたとばかり思っていた『憎しみ』といった感情なのかと思うと、非常につらいです」――「はい」と大きくうなずくN牧師。
「2つ目は……体は生活の資本ですので、今後、治療を受けながら損害を訴えていかなくてはならない場面も想定されるのですが、それは、約10年の間、私がこちらで学び、敬愛してきた〈S病院道〉ともいうべき慈しみの精神に反するのではないか、ということを考えるとつらいです……」
濃紺色となった窓の外に目をやり、N牧師はしずかに呼吸をととのえる。まるで何かの到来を静かに待つように――
「まず、1つ目に関しては……」やがて、N牧師はおごそかに口をひらいた。「人間として当然の感情であるから、噴き出すにまかせればよい」「……はい」「そして、2つ目は……毒をまき散らす人に、『あなたは毒を吐いてますよ』ということは……」ここでまた、深みをます紺色の窓に目をやり、こう続けた。「〈愛〉である」
帰り電車の中で、つり革に揺られながら浮かんだのは、米国生活でよく耳にし、とても気に入っていた blessing in disguise という言葉である。「一見不幸に見えることも、あとから思えば幸運――つまり西洋版「塞翁が馬」といった意味の言葉だが、さゆりはもっとも直訳に近い「変装してやってきた祝福」といった訳が好きだ。
最近では、NHKのファミリー・ヒストリーという番組でオノ・ヨーコ氏が「祖父が東大受験に落ちて一家が米国へ行かなければ、私がジョンと会うこともなかった」と語る場面で(英語のまま)使われていたのが印象的だった。
今回の2つの不幸も、数年後に "blessings in disguise" と呼べたら――そのために、どのような心持ちでどのような手順を踏んでいけばよいか……いまだ高揚している心の、それでも温度の低い芯の部分で静かに考える、帰途のさゆりだった。
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