シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

シングルマザーを生きる

時はさかのぼり、20033——

サンフランシスコで妊娠8週目に入ったさゆりのもとに、突然、日本の友人L嬢から「シングルママになります」と告白メールが届いた。

当時の日記には、

〈「同時期におなじ(妊娠という)経験ができそうで嬉しい」と返信したが、私より年下の勇敢なL嬢の決断に未来の幸福を願わずにはいられない。きっと大丈夫だろう。友人たちの中でもきわだって賢くて強い女性だから〉

といった記述があるが、両親のいる家庭で育ち、自身も当時、新婚の夫の庇護の下で安心安全な結婚生活を送っていたさゆりは、このニュースにひどく動揺し、L嬢のためにひたすら祈ったことを覚えている。

2年後、急転直下、帰国を余儀なくされ、「一時帰国」のはずが、現在にまで至ることとなったが、そのころbabyの父親とめでたくゴールインし、彼と2人で二人三脚の子育てを開始していたL嬢は、共働きながら、またたく間に家族の数を増やしていった。

テラスが小学校に上がるころ、いちど近所の夏祭りに来ないかと声をかけると、「5人なので移動もなかなか大変で……」との返事。てっきりテラスと同い年の男の子と下の2人と両親の「5人」かと思いきや、地下鉄の改札口に現れたのはなんと、幼子を抱えた上ちょろちょろ歩く2人の子を従えたL嬢と、愛くるしい twin babisを乗せた双子用ベビーカーを押す彼だった。

夏の暑さを吹き飛ばすかのように激しく打ち鳴らされる和太鼓の音を背景に、かき氷を分け合って食べる微笑ましくもたくましい家族をながめながら、2年前の自分をふと思い浮かべ、あっという間に立場が入れ替わってしまう人生の不思議さを思ったものだが……

閑話休題——

そのころ出会ったのが、本ブログのタイトルともなる「シングルマザーの勇気と情熱」-The courage to Be a Single Mother-(シーラ・エリソン著)である。そのなかに、当時、雷に打たれたようになった一節があった。

〈シングルマザーとして子供を育てることは……全速力で走っている車を、走らせたまま修理しようとするようなもの〉

この一節と対峙したとき——それが、さゆりがシングルマザーとしての「覚悟」を強く自覚した最初である。

さらに、エリソン女史は綴る。

〈勇気とは何だろうか? それは常に前を向いて歩き続ける、難しいことに挑戦する、そして辛い選択をする、ことだと思う。勇気とはまた、怖れという感情をきちんと受け止め、怖くても逃げずに問題に立ち向かうことだ。勇気とは、正しいと思うことを貫くためには少々の危険を冒すこと、自分の信じることのために立ち上がること、他人の権利を守るために立ち上がること、そして他人がどう言おうと自分自身であり続けることだ〉……

その後、幾度となく紐解いた作品だが、今またこのような状況下で読み返すと、ひときわ胸に迫るものがある。

ちなみに、波乱の人生を選びとったL嬢は、その後、離婚。別な男性との間にさらに1児をもうけ、現在は日本の地方都市で6児を育てるシングルマザーに進化を遂げている。知恵と勇気をかね備えた子供たちに支えられ、たくましく時代を生き抜いているL嬢は、今でもさゆりが「勇気」を与えられる、大切な友人の1人である。

 

 

シングルマザーの勇気と情熱―離婚から再生へ

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