シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

患者の一番長い日

つぎの検査日は本当に、人生でもっとも来てほしくない日の1つだった。腰の引けるメニューが、計画表の上に目白押しにならんでいる。まるで出場したくない種目ばかりの運動会のプログラムをながめているような気分。中でも一番回避したかったのは「骨髄穿刺」ーー骨盤の骨である腸骨に針を刺して、骨の中にある骨髄組織をとる検査である。

この検査はしかも、上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)とセットで行われることになっていたため、前日夜8時から食事制限があり、〈水、茶、スポーツドリンク、繊維のないジュース〉以外は摂取できぬまま、通勤時間帯の満員電車に揺られてG病院に到着。前回ナースに連れられ予行演習したルートを通って検査受付に行き、さらに、朝一番の血液検査で少なくない量の血をとられ、フラフラになりながら予約票を提出してコールを待つ—―。

しばらくして番号が呼ばれ、受付の手早いベテラン女史に「胃カメラと骨髄検査、どちらから始めますか?」と訊かれた。今ならどちらからでもできるという。だが、胃カメラ検査の内容は理解していても、対抗馬の正体がわからないので選びようがない。「骨髄穿刺って、つらいんですよね?」とおそるおそる尋ねると、「そうですね……ま、でも、同じ検査をセットで受ける方は今日だけでほかに5人いますから」と、さらりとかわされた。

こういうときは「カ・ミ・サ・マ・ノ・イ・ウ・ト・オ……」と目で2つの文字を交互に追っていると、さいごの文字にたどり着くまえに目の前の電話が鳴り、「胃カメラが早そうですので、さきに内視鏡検査室へ行ってください」といわれ(まさに「神さまの言う通り」!)……地図を渡され、別館へ。待合のすみに備えつけられた鍵つきのロッカーへバッグとコートを入れ、身一つでふたたび待機――。

そのとき、番号を呼ばれ、さゆりのななめ前にいた車いすの男性が「はい」と手をあげた。近づいてきたナースに「確認のため、生年月日を言ってください」といわれると、男性は背筋をピンとはったまま、「昭和10年、〇月〇日生まれのジジイです!」と高らかに答えたので、まわりから思わず笑いがこぼれた。……やはり、さいごに人間を救うのはユーモアである。

それから待つこと10分。コールされ、上の階の検査室へ移動。室内には、ドクターの趣味だろうか、耳障りのよいjazzのような音楽が、ほどよい音量で流れている。目をつむり、音楽に耳をそよがせていると、すぐに意識がなくなり、気がつくとリカバリールームへ……

そこは、宇宙戦艦の指令室のような、ひじょうに機能的なスペースだった。ナースステーションをかこんでカーテンで仕切られた小部屋がぐるりとならんでおり、その中に、それぞれリクライニング・チェアが用意されている。ナースたちが常に声をかけながら、患者ごとにセットされたタイマーを気にかけてくれている。中央には、全体をしきるオペレーション・リーダーのナースの気配が感じられる。カーテン越しに聞こえるその人のきびきびとした、しかしどこか優しく慈悲深い声に、みずみずしい命を再注入してもらうような思い……

小1時間ほど休んで朝の受付へもどると、また例の女史が顔を出し、手早く書類をまとめながらとぼけた様子で「骨髄穿刺ははじめてですか?」とたずねる。「はい。できれば生涯回避したかったですけど……つらいですか?」とふたたび訊くと、こんどは「つらくて仕方がないという人もいるし、思ったほどではなかったという人もいます」と老落語家のようにかわされた。

苦笑いをしながら検査室前へ移動。少しして招き入れられた室内は、思いのほか簡素な診察室然とした部屋だった。

Dr.「では、ズボンを腰骨の下までさげ、この台にうつぶせに寝てください。部分麻酔をして、それから針を入れていきます。その後、押されるような感覚があって、ちょっとつらいかもしれませんが、ともかく体を動かさないように」

さ「つらいですか?」

Dr.「そうですねぇ……まあ、うめく人もいます」

さ「……う、うめくんですか?!」

Dr.「はい。でも、うめかない人もいます……僕もやったことありますけど、まあ、なんとかはなります。あなたの前にやった方は、80代の女性でしたから」

これぞまさに「まな板の上の鯉」……どうあがいても、これから起こるであろうことは回避できないのだが、「同じ検査を受ける方が今日だけでほかに5人います」「そのうちの1人は80代の女性」などといわれると、不思議と度胸がすわってくる……

いよいよ検査台に横たわり、麻酔が開始される。ドクターはナースと相談しながら針を刺す位置を慎重に決め、専用のペンで印をつけていく。「……では、始めます」――台の下に回した手の親指の爪で人差し指の腹を思いきり突き、神経の腰への集中を逃がそうと企てる。(この時間がおわったら……)――すべての検査がおわったら、ありつけるであろう1杯のカフェラテに思いを馳せながら……

「はい、針が入りましたよ~今、骨を通過しました。ここから押される感じが続いてちょっとしんどいと思いますが……」――検査を行っているドクターの実況中継が、どこか遠くの彼方から耳に流れてくる。

そこからは、うめきの連続だった。「う、う、う、う、う、う、う、う、う……」と、検査台の両脇をつかんで歯をくいしばり、自分の放つ「う」の数をかぞえていた。腰のあたりに覚える感覚は、「押されてしんどい」というより、激しく「引かれてしんどい」といった感じ。意外だったのは、腰の左側から行われたこと。のちに「腰の真ん中を刺すのかと思っていました~」と乳腺外科の主治医であるP医師に明るく言ったら、「真ん中になんて刺したら恐ろしいことになっちゃうよ~」といってひきつり笑いをしていたが。

永遠とも思える時間もやがては終わり……すべてのメニューから解放され、カメの歩みで満身創痍の身を運び、最上階ちかくの見晴らしのよいカフェへ――そこで味わったカフェラテは、自分史上最高の1杯だった。

 

 

 

藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集 (1) (中公文庫―コミック版)

藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集 (1) (中公文庫―コミック版)

 

 

 

人生ファブリック

朝、テラスが出かけてまもなく、宅配便のお兄さんがやってきた。扉のすきまから、腕に抱えられているほどよく運びやすい大きさの箱を見ただけで、さゆりには差出人の察しがついた――先ごろ、国立新美術館で〈氣〉のレクチャ―をしてくれたF先輩である。

F先輩からはときどき、いつまでも「放っておけない」危なっかしい生き方をする後輩へ、こうして「支援物資」が届く。もう、何年になるだろう……さゆりが妊娠中「つわりがひどくて何も食べられない」と書き送ったとたん、米国サンフランシスコにも届いていたから、かれこれ10年以上にはなるだろうか。

当時の日記を紐解くと、〈F先輩よりお茶漬けのり、きつねどん兵衛、紅茶、おせんべい、ちらしずしセットといった心づくしの航空便小包が届く。なつかしい日本橋の消印の箱に手をあわせ、さっそくおせんべいをほおばると、あとは箱に入れたまま「私の宝箱」と宣言してベットの脇におく。ときどき気分がわるくなると箱をあけ、アールグレイの香りをかぐ。F先輩、ありがとうございました!〉などと綴られている。

この「アールグレイの紅茶」というのが、じつはF先輩がアメ横仕入れ、絶妙な配合でブレンドした特製品で、その香しい味わいは天下一品! 圧巻だったのは、米国から慌ただしく帰国した後、すぐに実家を離れることとなったさゆりに、中古の家電製品と特製アールグレイに添えられていたメモ書きだった。

〈さゆりちゃんへ どんな境遇におちいっても、ワインと紅茶の質だけは落としちゃダメよ〉

これはけっして贅沢のススメではなく、「どんな境遇でも矜持を保ちなさい」という教えだと理解したさゆりは、その香しいアールグレイにお湯を注ぐたび、背筋をスッと伸ばしたものだった。

毎度のことながら、わくわく心をおさえきれずに箱を開けると、おおらかな字体で〈Invoice〉と書かれた紙が目にとまった。さすが元商社レディ、物品を送るときはかならずこの〈Invoice〉という名の明細書を添えてくれる。その中身はというと、

〈さゆりちゃんへ 体温を一度上げると免疫力が30%アップするそうです。腹式呼吸で自律神経をコントロールしましょう。

・じゃがいも メークィン(長い形)―—崩れにくいのでシチュー等に

       男爵(丸い形)——いつものホクホク

       とうや―—残念ながら完売してしまいました……また次回!

・ピーマン うちの庭で作ったもの。無農薬。季節のおわりなので小さい。

      同梱のじゃがいもと炒めて召し上がれ。

・りんご 山形のふじ

・十万石 行田銘菓

・紅茶 私のブレンド

・手製ワンピース 若いころに買った生地で、さゆりちゃんお好みの色かと。

         ベルトはウエストに二重に巻き付けて。気に入らなければ返品可〉

といった具合。もちろん、さゆりの好みを知り尽くしているF先輩の見立てが気に入らないわけはない。

不思議なことに、このF先輩からの〈支援物資〉は毎回絶妙なタイミングで届く。まるでこちらの心持ち(氣の流れ⁇)を人工衛星経由で探知されているよう。雨の日にコーヒー豆がなくなって困ったとき、明日の会に着ていくのにぴったりのブラウスが手元にないとき、まるで心で思っただけで届く特注品のように、「ピンポーン」とベルが鳴る。……

この日、さゆりが強烈に欲していたものは、ほかならぬF先輩ブレンドアールグレイ——来るべき病の検査の山場に向け、また〈恐れ〉という怪物が頭をもたげてきたため、その強敵に平常心で立ち向かうための魔法の道具の1つとして、欲していたところだった。

扉をあけ、腕のなかに抱えられた箱をそれと認識した瞬間、いつもの人のよさそうな笑顔をうかべる左前歯のかけたお兄さんの上に、一瞬、光の環が見えた。

さっそく湯を沸かし、ゆったりとした気分でガラスのポットに入れたアールグレイのこまかな葉の上にすこしづつ注ぎこむ。とたんに豊かな香りが部屋いっぱいに広がり、まるで見えない巨人がポットから出てきてさゆりの体を支えでもしてくれるかのように、全身の力が抜けていく……

贅沢なティータイムで〈氣〉を高めた後は、家事のつづきを丁寧にこなし、R珈琲館よりすこし先のM珈琲館めざして出発。その日、激励にかけつけてくれたのは、高校時代の友人MK嬢——さゆりにとっては〈切り札〉的な、人生の最重要人物の1人である。

たがいに生活が落ち着かず、なかなかゆっくり会う機会はないのだが、それでもこれまで折々で寄り添い、肩をたたき合ってきた。今でもかわらぬ(というより、年々美しさを増している)容姿端麗なMK嬢は、さゆりのあこがれの女神であり、叱咤激励してくれるちょっとお姉さん的な存在。その日本人ばなれした凹凸のあるくちびるから放たれる言葉は、折々でさゆりに重要な示唆を与えてきたため、会談のまえにF先輩ブレンドティーで〈氣〉を高められたことは幸いだった。

「今回の件だけど……私はどうもわるい方へ行くような気がしない。たいへんだとは思うけど……でも、どうしてもそう思えない」

渋めのブレンドコーヒーをまえに、さゆりが近況を語り終えたとき、MK嬢はこちらの目をまっすぐ見てそう感想を述べた。うなずきながら、口へはこぶコーヒーとともに、その言葉を数回にわけて飲みこみ、体になじませるさゆり……

気がつけば、日はどっぷりと暮れ、正午過ぎに会ったMK嬢と「さくっと会いましょう、といって、かるく5時間半!」と会計で笑い合った。MK嬢とはかつて、〈ファミリーレストランで17時間半〉という驚異の会談記録がある。彼女の人生の一大事に、さゆりがかけつけた折だった。「これが飛行機のシートだったらもうすぐサンフランシスコに着いちゃうね~」から「そろそろロンドンに到着するかな」になり、気づけばアルバイトの給仕係が三転していた。

——友人と別れて目を上げると、濃紺の空に静かに冴える三日月が目にとまった。

〈た~ての糸はあなた、よ~この糸はわたし……〉

三日月を追って夜道を歩きながら、中島みゆきの「糸」がふと、頭に流れてくる。

(たての糸は……私。そして、よこ糸としてさまざまな人が登場し、人生折々の織面を形成してくれる……)

たての糸は美しくなくとも、さしづめ丈夫でさえあればよい。そして、折々の美しいよこ糸をとりこんで形成される織物(fabric)が、いつか誰かを「あたため」、誰かの「傷をかばえば」よいと願う、師走の家路をいそぐさゆりだった。

 

 

 

糸

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[rakuten:hokkaidosantyoku:10000022:detail]

 

五次元世界の祭り

日曜日、早起きして、さゆりが〈命の電話〉担当となっていた友人TK嬢とゴルフの朝練へ。このところにわかに、この友人はさゆりの命綱でもある、と認識するようになった。人間、自分より凹んでいる人が近くにいると、がぜん奮起して何か力になれないかと張り切るものだ。TK嬢の災難は本当に気の毒だが、ちょうど後退の時期が重なり、どこまでも落ちていきそうなさゆりの気持ちをつなぎとめる役割を果たしてくれていることについては、心の底から感謝せずにはいられない。

晩秋の朝の張りつめた空気の中で気持ちのよい汗を流し、いつものカフェでひと息ついたとき、まだパワー全開の表情からはほど遠い友人をまえにとりとめのない話をしながら、さゆりにはもうひとつ考えていることがあった。(このあと、どこに行こうと誘おうか……今日の表情をみると、まだ息抜きが必要そう。とりあえず午前中はテラスも家にいないし、このままお昼ごろまでなら……)

前日から、なんとなく考えていたA案とB案が、このとき頭のすみにあった。Aは、地元民には人気の隠れ家的美術館で絵画・版画鑑賞をし、併設の古民家で手打ちそばをいただく案。対するB案は、徳川家ゆかりの庭園を散策し、別の手打ちそばを食べるコース……ところが、自然に会話がとぎれたとき、A案かB案か決めかねながら切り出したさゆりの口から出てきたのは、まったく思いがけない行先だった――

「ねえ、このあとよければ気晴らしに、HEIRINJIに行かない?」

平林寺――それは、母が他界して以来、ずっと気になっていながら足を運べずにいた、さゆりにとっては「近くて遠い」場所だった。「ちょっとHEIRINJIに行ってくる」――せわしない日常のなか、ふと煮詰まった折、母はよく、そういい残していつも着用している花柄のエプロンドレスを脱ぎ、車で出かけていったものだ。学生の頃、「素敵な場所だから」一緒に行こうとと2,3度誘われたことがあったが、部活動等を理由に同行することはなかった。他界した後も1度だけたまたま近くを通ったことがあったが、心の準備ができず、そのまま素通りしていた。

その場所の名前が――なぜかこのタイミングで、口からこぼれ出たのである。本当に、天からその名がストンと降りてきたようだった。

「え、それってお寺?」TK嬢が身を乗り出してくる。

「そう。……別なところの候補を考えていたのに、なぜだか今、口から出てきちゃった。母がよく、悲しいことがあったりくじけそうになったとき、気分を入れ替えに行っていた場所なの。なくなってしばらく、私も足を運べずにいたんだけれど……今日、2人でなら行けるかと思って」

そうしてたどり着いた平林寺の正門まえは、思いのほか人で賑わっていた。駐車場には臨時誘導員の姿もちらほら見える。「なんでこんなに混んでいるんだろう」と、顔を見合わせるTK嬢とさゆり……ともかく、人の流れにしたがって拝観料を払い、中に入ってみて驚いた。辺り一面、断末魔の秋が燃え盛っているような、赤、黄、緑……そこはまるで、360度総パノラマの色彩天国だったのである。

「なにこれー」「なにこれー」と、歩を進めるたび、圧倒的な迫力で目にとびこんでくる色彩の魔力に、2人とも、それ以外の言葉が出てこない。かつて京都や岐阜などのもみじの名所でジャストタイミングの「紅葉」を鑑賞したこともあったし、メイプルリーフの並木道が幾重にも連なる美しいカナダの「黄葉」を1年でもっとも美しい時期に楽しんだこともあった。けれども、この日の美しさは本当に、その何十倍、何百倍もの驚きと感動に満ちていた。赤1色ではない。黄色と2色でもない。緑や他の色々が幾層にも連なって、みごとな色彩のコントラストを演出していたのである。

フィギュアスケートの選手かと思うほどくるくる回りながらようやく本堂にたどりつき、お参りをすませたものの、彩りの祭典はそれだけでは終わらなかった。本堂わきの池のほとりから裏山へ向かって散策路がつづいており、その先には「もみじ山」「野火止塚」といった魅惑的な名前の場所が配置されていた。その入り口に、

〈拝むというのは、自分をなくすることです。自分をなくすると、全体が自分です〉

という意味深い看板が立てられていて、その前でしばし足を止めるTK嬢の背中を、さゆりはそっと見守っていた。

その後の世界は、「絶景かな、絶景かな」――まるで〈世界の絶景100選〉をいっぺんに見たような、お得感満載の高雅な旅路だった。

「これはぜったい、現世じゃないよね~」とため息をつくTK嬢。

「うん、これはきっと五次元の世界。家からさほど遠くない所に、こんな世界に通じる〈どこでもドア〉があったなんて……」とさゆり。

「HEIRINJIに行ってくる」といって母が出かけていった場所は、なぜか玉砂利の参道がまっすぐ伸びる、広大な寺だと想像していた。「こんな幽玄なお寺だったのか~」「母が『素敵だ』と言っていた世界は、こんな場所だったんだ~」と、生きて歩けるうちにその場所へ、しかもベストタイミングで来られたことに、心から感謝せずにはいられない……

「きっと、さゆりのお母さんが、導いてくださったんだね」と目を潤ませるTK嬢。その姿に、数十年前の高校時代、家に泊まりに来た折、花柄のエプロンドレスを着た母にもてなされていた姿が重なる……

夢の世界の終わりには、正門まえの茶屋で温かいうどんと甘酒に舌鼓をうち、心も身も大満足の五次元世界祭典旅行だった。

 

 

 

 

 

 

アジカンな夕べ

病とパワハラのダブルパンチで休業を余儀なくされて早2週間――人間とは(動物とは⁇)不思議なもので、毎日を罫線のないキャンバスに「自由に」描ける時間を与えられたというのに、自然と定期的に「通う」ところが生まれてくる。

さゆりの場合、その1つが、最寄り駅近くのR珈琲館――「あおいくま」の載ったエッセイを手にかけつけてくれた以前の上司K氏をかわきりに、その後、さゆりの窮地を聞きつけた人たちが、次から次へと見舞い足を運んでくれたため、さすがにちいさな「ホビットの家」に案内するわけにもいかず、駅前のR珈琲館がかっこうの待合せ場所となっていたのである。

「今日は何するの?」――われわれの時代には、小学校の片隅にかならずあった二宮金次郎像を想起させる、 流行りの  THE NORTH FACE のリュックを背負って玄関に立つ制服姿のテラスが、ちらりと振り向きざまたずねる。

さ「えっと……午前中歯医者さんで夕方からR珈琲館かな」

テ「またR~? 好きだねえ」

さ「だって、わざわざ来てくださる方をお迎えする謁見会場だもの。昨今の患者は日常生活を送れてしまうほど元気だから、〈お見舞い〉の形態も変わってくるのよ」

テ「ははン、そんなもんかねぇ」

首をふりふりテラスが出立してしまうと、夕方の予定に合わせ、服選び(といってもユニクロのシャツの色が異なる程度だが…)にとりかかった。

その日、R珈琲館にかけつけてくれたのは、S病院時代の他科の秘書嬢、YMさん。さゆりの名字というのは、じつは昨今ファーストネームにもなってしまいそうな音のもので、当該友人はその名をもつ人である(仮に、「ゆめの」さんとしよう)。

花の病院秘書当時、適齢期花盛り(今でもだが)のゆめのさんにある日、「うちの独身の弟を紹介したいけど、〈ゆめのゆめの〉になっちゃうからまずいよねぇ」といったら、「大丈夫。こちらで弟さんを養子にもらうから」と即答していた。――たしかに、それならうまくいく。美人なだけでなく、頭の切れもよい人だと感心したものだ。

現在はヨガのインストラクターをしているゆめのさんからはこの日、〈アジカン呼吸法〉という空海が行っていた呼吸法を習った。阿字観とは、ヨガが基になる密教における呼吸法・瞑想法の一つで、呼吸によって体から悪い気を吐き出し、心身ともに清められた状態で、瞑想を行うというもの。呼吸法を先に行うことで、α(アルファ)波より深い市θ(シータ)波が分泌される世界に入れるのだそうだ。

具体的には、まず、この宇宙のあらゆる事象が「阿」という字音に含められるとして「阿~~~~~」と発音しながら息を長く出す呼吸法を繰り返す。その後、瞑想にはいるのだが、その間に頭に浮かんだ雑念はふりはらわず、ポストイットにメモして頭の中に貼っておく。そうすることで、それらの物事を認め、受け入れることができるとのこと。

仮面ライダーキカイダーのバイクのごとく進化した電動ママチャリを操る一団が、区役所から流れてくる〈ゆうやけこやけ〉を合図にR珈琲館から一斉退去するころ、静かになった店の片隅で、いつぞやの国立新美術館でのF先輩のごとく、「はい、息を大きく吸って……はい、あ~~~~~」と、ヨガ講師ゆめのさんの特別レッスンは続く……

その後、テーブルをはさんでの瞑想――呼吸の波間に頭を漂わせていると、ときどき、木の葉の舟のように〈考え〉や〈ひらめき〉が通り過ぎる。ポストイットにメモする間もなく、さまざまな舟が行きかい、霧の中に消えていく過程で、さいごに自分という船の船跡波としてさざめきのこったのは、「社会にとりのこされかけた私に、こんなに多くの人たちが時間をさいて様々な知恵を授け、心を寄せてくれる。本当にすごいことだ」という、森羅万象に対する畏れと深い感謝だった。

グラスをはじくゆめのさんの合図でわれに返ったとき、マインド中の霧はすっかり晴れ渡り、ふだんから美しいゆめのさんが、さらに神々しく光り輝いて見えた。まるでガンダーラ仏のような妖艶な天女は、こんな乗り物に乗ってたりして……と、すっかりマインドが満たされアジカンな気分となったさゆりの頭に浮かんだのは、数日まえに GINZA SIX で見た巨大な装飾象だった。

 

 

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瞑想

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第三の条件

血液内科デビューとおなじ週、テラスの中学では受験前さいごの三者面談が行われた。入学当時からの恒例どおり、平日夕方の枠外〈特別枠〉を申請し予約していたため、その時間をめがけて塾からもどったテラスと実家で合流し、濃紺の夕闇にしずむ学校へ。

校舎の2階以上で1つだけ煌々と明かりのともる教室前の椅子にこしかけて待っていると、職員室へもどっていたらしいS教師が「ああ、待たせちゃってすみません」といいながら(といってもまだ約束の時間前なのだが)パタパタと走ってきて教室内に引きいれてくれた。

まず、最終内申を伝えられ、夏以降の授業態度や各種活動についての報告があり、それらをふまえて志望校の最終選定作業にはいる。この点、ほんとうに幸運だったのは、1年次から精力的に活動していた部活動の顧問であるS教師が、3年次の担任だったこと。テラスの希望は「おなじスポーツを続けながら大学進学も視野に入れられる文武両道の学校への進学」であったため、最終結論も迷うことなく、本人と担任教師兼部活動顧問のあうんの呼吸で決まった感があった。

「じゃ、ちょっと先生とお話があるから、先にじーじの家へもどってて」

そういってテラスを先に帰し、穏やかな表情でこちらのサーブを待ち受けるS教師に病のことを告げる――

S「……テラスさんには話したんですか?」

さ「受験まで待とうと思いましたが、父の助言もあり、話しました。淡々と受けとめていたようです」

S「そうですか……まあ、その方がよかったかもしれません。あとで知ると『何で話してくれなかったんだ』っていう疎外感に、子供は苦しんだりしますから」

さ「(うんうんとうなずき)……ただ、その後、塾のあき時間に友達との外出が増えたんです。すこし気になって『ママの体調のことはとりあえずテラスだけで、お友達には話さないでね』って言ってしまったんですね。そしたら表情がすこし暗くなって……家族以外、誰も相談相手がいないと苦しいでしょうから、先生にはお伝えしておこうと思いまして…」

S「わかりました。僕に話したことを本人に伝えてください。僕の方からも、『何かあったら話を聞くから』って声をかけますから」

さ「心強いです。ありがとうございます」

血液内科デビューの日、G病院の患者サポートセンターで手渡された〈だれも分かってくれないー思春期の子どもにとって、親ががんの患者であるということ〉という冊子の中にも、

〈思春期の子どもは友だちと一緒にいることで、家族に関する心配事から気持ちを逸らしやすくなります。大人はがんのことを考えないでいることは非常に難しいでしょうが、子どもはとても健康的な方法として、少なくとも少しの間、気を逸らすという方法を使う能力を持っています〉

〈がんについてだれが把握しているのか、思春期の子どもがだれにだったら気軽に相談できるのかを明確にしてあげてください〉

といった記述があった。1つ目はテラスにも起こったことであり、そうであるならば、2つ目も実践しようと思った翌日が、奇しくもテラスとは文武にわたり信頼関係のあるS教師との面談日だったのである。

米国で過ごした妊娠期に、よく講義を視聴したり本を読んだりしていた神学者 ジョゼフ・キャンベル(Joseph Campbell)  氏の言葉に、

"When you are on the right path, invisible hands will come to your aid."

"I say, follow your bliss and don’t be afraid, and doors will open where you didn’t know they were going to be."

というものがある。これらを考え合わせると、

「人間が至福を追求すれば→見えざる手が助けてくれる」

ただし、その真理の恩恵を受ける道のりは、

条件①:正しい道にいるかぎり

条件②:感謝をもって喜びに満たされ

条件③:恐れなければ

という条件つきの構造になっているのではないかと、元結婚相手のアンディと新婚時代、夜な夜な語り合ったことがある。その後の人生において壁につきあたるたび思い返したこの原則を、サンフランシスコの霧のような冷気が下からたちのぼってくる母校の階段をそろりそろりと下りながら、頭のなかでなぞってみる――

(もっとも難しいのは、何事につけ、条件③だな……)

そうつぶやきながら、〈下駄箱〉を〈くつ箱〉といいかえても昔と変わらぬ埃っぽい木の匂いのする昇降口から踏み出たとき、漆黒と化した闇にまぎれてざわつく樹々の間から、ボ――っという、サンフランシスコの夜に響いていた汽笛が聞こえたように感じた。

(*写真は夜のフィッシャーマンズ・ワーフ Fisherman's Wharf @サンフランシスコ) 

 

  

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

The Power of Myth

The Power of Myth

 

 

 

黄金の輝き

院内周遊ツアーの水先案内人となったナースとの、血液内科から検査室までの道中の会話は主に、「最終診断を聞きにいく日の同伴者について」だった。A医師に「年末の診察日には、必ず付き添いの方を連れてきてください」といわれていたのである。

「父は高齢ですし、娘はまだ中学生。前回はおなじS病院内でしたので元上司である医師に同席をお願いしたのですが、今回はそういうわけにはいきませんので、1人ではだめでしょうか?」――そう尋ねると、ナースは首を振り、「それでは医師が困ってしまいます。かならず、どなたか連れていらしてください」とのこと。新たなる難題だが、ひとまず棚上げして、目のまえの課題を1つ1つクリアしようと検尿後、採血室へ入る。

テラスは不思議な子供で、幼い頃から今にいたるまで、注射をされるときは泣きもせず、針をさすところをじっと見ているのだが、度胸のないさゆりは「では、ここの血管から採りますね」と採血する場所が決まるやいなやかたく目をとじ、「はい、終了です」といわれるまでじっとしている。

ところがその日は、待てど暮らせど終了の合図が聞かれない。……しびれをきらし、目をとじたまま「まだ、終わりませんか?」と尋ねると、「今、6本目です」との答え。おどろいて「何本採るんですか?」と訊きかえすと、「8本です」といわれ、仰天したそのとき、「……つらいでしょう?  私もつらいんです」と担当のベテランナースがつけ加えたので、うんざりしながらもふき出してしまった。

自分史上最長の血液検査を終えると、廊下で待っていた水先案内人ナースとふたたび合流し、心電図をとってCT検査室へ。

ナ「閉所恐怖症ではありませんか?」

さ「少し、そんな気がします」

ナ「まあ、機械へ入ったり出たりですから大丈夫だとは思うのですが」

さ「(一般健診でうけたことのある胃のバリウム検査を思い浮かべ)ぐるぐる回ったりするんですか?」

ナ「ぐるぐるは回りません(笑)。同じ姿勢で行ったり来たりするだけです」

(もうこうなったら、TDLのアトラクションだと思って楽しむしかない……)と緊張を高めながらも腹をくくって白い台に横たわったとき、ふっと全身の力が緩んだ。――CT検査室の天井に、木漏れ日を浴びてさえずる鳥たちの美しいステンドグラス調の板がはめこまれ、内側から光があたる仕掛けになっていたのである。

「機械から出るたび、天井の絵を見ることができて、ほんとうに癒されました~」

と、さいごに回った〈PET-CT検査の説明〉担当の技師に話すと、「ああ、あれ、きれいですよね~。カメ、いませんでした?」と尋ねる。

さ「カメはいませんでした。木漏れ日あふれる木々と、鳥たちと……」

技「へえ……じゃ、〇番の部屋かな? 4室あるんですよ。皆、モティーフが違ってて、僕はカメのがいちばん好きなんですけど」

さ「へえ~素敵。いつか、カメの部屋にあたりたいですね」

そんな楽しい会話とともに、血液内科専門ナースつきのG病院ラウンドは終了――。

〈病気にならなければ、会えなかった人たちがいる。

 病気にならなければ、見ることのできなかった世界がある。

 病気にならなければ、知ることのできなかった痛みがある。……〉

そんなことをつらつらと考えながら地下鉄に乗り、帰宅すると、めずらしくテラスが「きょう塾なくなった」といって、手持無沙汰な様子をみせたので、すかさず「パンケーキ食べに行く?」と提案すると、「うん」との答え――。

連鎖する検査自体はストレスフルなものだが、要所要所で迎えてくれる人々や、木々や、鳥たちや、カメの話に支えられ……ともかく、きょう1日無事に過ごせたことに感謝! と、さいごはテラスの笑顔のまえで、黄金の輝きに舌鼓を打つ血液内科デビュー日だった。

 

  

 

 

 

 

中継ぎのエース

血液内科デビューの日――その日は恐ろしさや不安よりも、圧倒的に期待感、ワクワク感といったものの方が勝っていた。病が発覚した以上、すこしでも早く治療を開始してもらいたい。かつ、その間に転院という、一瞬はしごを外されたような期間が到来したため、送り出された側にも受け手の側にも強い信頼の気持ちはあれど、移民難民のごとく、一刻も早く無国籍状態から抜け出したかったのである。

かような心境で、足どりかるくG病院に到着したものの、いざ従来と異なる階、異なる科の表示板のまえに佇むと、とたんに胃のあたりがきゅるる~んとし、「ここで開かれる世界がすこしでも静穏なものでありますように」と祈らずにはいられない。……

S病院を離れるかどうかについてR医師と話したとき、「放射線治療であれば症例数の多いG病院がベストだと思う」という医師に対し、「その先化学療法へ進むようであれば、S病院のほうが落ち着けるのですが……」との不安を口にしたことがある。それに対するR医師の返答は「化学療法へ進むとしても、今回の病気だと血液内科の担当となるから、いずれにしろうちのチーム(乳腺の主流は腫瘍内科)ではなくなるわよ」というもので、その答えに直面したとき、「ああ、どんなに望んでも、科やチームを選ぶのは病気のほうであって、患者ではないのだ」という事実を狂おしくも再認識したのだった。

……そんな経緯を感慨深く思い返しながら、新しい科の扉をくぐる。なじみの科とはまったく異なる図書館のような雰囲気の受付で、新天地への通行手形のように受付票を渡すと、「今月から個人情報に配慮し、院内全域にわたり番号でお呼びすることになりましたので、こちらの番号をお忘れなく」といわれ、向かいの席につく。

そこからは、愉快な展開が待ち受けていた。中待合室的な通路に面した椅子には、おなじ案内を受けた人々がひしめき合っていたが、ほとんどがさゆりより年配の方々であるためか、ドクターがマイクで「35番さん、診察室3番へどうぞ」と放送しても、誰も席を立たない。ナースが出てきて「35番さん」「35番さん」と呼んで回っても無反応……ついには診察室の扉からドクターが顔を出し、「〇〇さん、〇〇トシオさーん」と実名を連呼し、ようやく本人が立ち上がる――というシーンが繰り返され、おかげで緊張が増しそうな待合時間を、ほのぼのした気分で過ごすことができた。

A医師は想像どおり聡明な印象の、中継ぎ投手として登場したら皆がたのもしく見上げそうな、エースの風格を備えたドクターだった。まず、想定される病気の説明から入り、長い問診へと移る。淡々と質問しては、うなずきながらさゆりの答えを電子カルテに手際よく打ちこんでいく。頭脳明晰なためか、日本語がまことに速く、うかうかしていると単語を聞き逃してしまう。また、こちらがすこし遠回りだったりまと外れ的な回答をはじめると、「そこではなくて、こっちです」と "Get to the point!" といわんばかりのポイント切り替え作業を速やかに行ってくれる。

質問の内容は、既往症、生活習慣、家族構成……と多岐にわたったが、なかでも印象深かったのは「アスベストを吸う環境にいたことがありますか」「兄弟姉妹でどなたがいちばん健康ですか」という質問だった。後者に関しては、のちに進むことになる検査項目のなかに〈骨髄穿刺〉とあるのを見たとき、「ああ、『血のつながり』とはよくいったもので、血液関連の病気である以上、家族に協力してもらうような事態も想定されるのか」とあらためてこちらも、将来家族の誰かの役に立つときのために健康を回復せねば……と自身を奮い立たせる。

「まずもって、S病院で見つけていただいたことは幸運だったと思います。ですが、それはあくまでも予備診断。それはそれとして、こちらではまた一から詳細な検査を行いますね。病気は想定されるとして、どのような形で、どの程度広がっているのかを調べなくてはなりません。血液は全身を回っていますから、どこへでも行ってしまう可能性はあるわけです……今日もさっそく、入れられるだけの検査を行ってしまいましょう。今月中にいろいろやりきって、年の瀬に最終診断結果をお伝えします。本格的な治療は……まあ、今のスケジュールからすると、年明けですね」

「また年の瀬にお会いしましょう」と笑顔をみせるA医師に礼を述べて退室すると、ドクターのとなりに立ってずっとあいづちを打ち続けていたナースが後を追うように出てきて、中待合の椅子で今後の検査について詳細に説明してくれた。「では、これからいろいろ院内を複雑に回らなければなりませんので、ここからはしばらく私がお供しますね」とにっこり……

たいへん心強い申し出だったが、先ほどドクターから「とにかく、あまり過度に心配しないように。一つ一つこなしていきましょう」といわれてホッとしたのもつかの間、専門のナースが1人検査について回ってくれるという、まるで専属キャディを携えたプロゴルファーなみのVIP待遇に怖れをなし、気分がガクンと沈んだそのとき、「きっと、大丈夫」と語りかけてくれたのは、大廊下に展示された闘病中の子供たちの手による色とりどりの工作だった。