シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

五次元世界の祭り

日曜日、早起きして、さゆりが〈命の電話〉担当となっていた友人TK嬢とゴルフの朝練へ。このところにわかに、この友人はさゆりの命綱でもある、と認識するようになった。人間、自分より凹んでいる人が近くにいると、がぜん奮起して何か力になれないかと張り切るものだ。TK嬢の災難は本当に気の毒だが、ちょうど後退の時期が重なり、どこまでも落ちていきそうなさゆりの気持ちをつなぎとめる役割を果たしてくれていることについては、心の底から感謝せずにはいられない。

晩秋の朝の張りつめた空気の中で気持ちのよい汗を流し、いつものカフェでひと息ついたとき、まだパワー全開の表情からはほど遠い友人をまえにとりとめのない話をしながら、さゆりにはもうひとつ考えていることがあった。(このあと、どこに行こうと誘おうか……今日の表情をみると、まだ息抜きが必要そう。とりあえず午前中はテラスも家にいないし、このままお昼ごろまでなら……)

前日から、なんとなく考えていたA案とB案が、このとき頭のすみにあった。Aは、地元民には人気の隠れ家的美術館で絵画・版画鑑賞をし、併設の古民家で手打ちそばをいただく案。対するB案は、徳川家ゆかりの庭園を散策し、別の手打ちそばを食べるコース……ところが、自然に会話がとぎれたとき、A案かB案か決めかねながら切り出したさゆりの口から出てきたのは、まったく思いがけない行先だった――

「ねえ、このあとよければ気晴らしに、HEIRINJIに行かない?」

平林寺――それは、母が他界して以来、ずっと気になっていながら足を運べずにいた、さゆりにとっては「近くて遠い」場所だった。「ちょっとHEIRINJIに行ってくる」――せわしない日常のなか、ふと煮詰まった折、母はよく、そういい残していつも着用している花柄のエプロンドレスを脱ぎ、車で出かけていったものだ。学生の頃、「素敵な場所だから」一緒に行こうとと2,3度誘われたことがあったが、部活動等を理由に同行することはなかった。他界した後も1度だけたまたま近くを通ったことがあったが、心の準備ができず、そのまま素通りしていた。

その場所の名前が――なぜかこのタイミングで、口からこぼれ出たのである。本当に、天からその名がストンと降りてきたようだった。

「え、それってお寺?」TK嬢が身を乗り出してくる。

「そう。……別なところの候補を考えていたのに、なぜだか今、口から出てきちゃった。母がよく、悲しいことがあったりくじけそうになったとき、気分を入れ替えに行っていた場所なの。なくなってしばらく、私も足を運べずにいたんだけれど……今日、2人でなら行けるかと思って」

そうしてたどり着いた平林寺の正門まえは、思いのほか人で賑わっていた。駐車場には臨時誘導員の姿もちらほら見える。「なんでこんなに混んでいるんだろう」と、顔を見合わせるTK嬢とさゆり……ともかく、人の流れにしたがって拝観料を払い、中に入ってみて驚いた。辺り一面、断末魔の秋が燃え盛っているような、赤、黄、緑……そこはまるで、360度総パノラマの色彩天国だったのである。

「なにこれー」「なにこれー」と、歩を進めるたび、圧倒的な迫力で目にとびこんでくる色彩の魔力に、2人とも、それ以外の言葉が出てこない。かつて京都や岐阜などのもみじの名所でジャストタイミングの「紅葉」を鑑賞したこともあったし、メイプルリーフの並木道が幾重にも連なる美しいカナダの「黄葉」を1年でもっとも美しい時期に楽しんだこともあった。けれども、この日の美しさは本当に、その何十倍、何百倍もの驚きと感動に満ちていた。赤1色ではない。黄色と2色でもない。緑や他の色々が幾層にも連なって、みごとな色彩のコントラストを演出していたのである。

フィギュアスケートの選手かと思うほどくるくる回りながらようやく本堂にたどりつき、お参りをすませたものの、彩りの祭典はそれだけでは終わらなかった。本堂わきの池のほとりから裏山へ向かって散策路がつづいており、その先には「もみじ山」「野火止塚」といった魅惑的な名前の場所が配置されていた。その入り口に、

〈拝むというのは、自分をなくすることです。自分をなくすると、全体が自分です〉

という意味深い看板が立てられていて、その前でしばし足を止めるTK嬢の背中を、さゆりはそっと見守っていた。

その後の世界は、「絶景かな、絶景かな」――まるで〈世界の絶景100選〉をいっぺんに見たような、お得感満載の高雅な旅路だった。

「これはぜったい、現世じゃないよね~」とため息をつくTK嬢。

「うん、これはきっと五次元の世界。家からさほど遠くない所に、こんな世界に通じる〈どこでもドア〉があったなんて……」とさゆり。

「HEIRINJIに行ってくる」といって母が出かけていった場所は、なぜか玉砂利の参道がまっすぐ伸びる、広大な寺だと想像していた。「こんな幽玄なお寺だったのか~」「母が『素敵だ』と言っていた世界は、こんな場所だったんだ~」と、生きて歩けるうちにその場所へ、しかもベストタイミングで来られたことに、心から感謝せずにはいられない……

「きっと、さゆりのお母さんが、導いてくださったんだね」と目を潤ませるTK嬢。その姿に、数十年前の高校時代、家に泊まりに来た折、花柄のエプロンドレスを着た母にもてなされていた姿が重なる……

夢の世界の終わりには、正門まえの茶屋で温かいうどんと甘酒に舌鼓をうち、心も身も大満足の五次元世界祭典旅行だった。