シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

蝶よりバラへ

今回の2つの災難をはじめて伝えた友人から〈教えてくれてありがとう……そして競泳の池江璃花子選手のニュースにも驚いている…〉と返信がきて、何が起こったのかとテレビをつけたら、う~む、なんだか今回書き綴っている件と似たような病を公表されたとのこと……

その後も大阪の知人から〈池江璃花子さんの件でわかったわ。神さまは嫉妬深いねん、だからさゆりさんにも意地悪する……〉といったコメントが寄せられたり、友人から「大丈夫? テレビが騒がしいから、ちょっと心配になって……」とLINE が届いたり――さゆりの周囲の人たちはやはり、2つの件を関連づけ、倍増させた怒りややるせなさを蒸気として全身から噴出させているようだ。……

自身はさておき、「こんな若いお嬢さんに」と体の芯から怒りがこみあげ、「これは流行り病なの?」と誰かにあたってみたくもなったが、あたる相手がいないので、縫物をするミシンを倍速で踏んでみたり、掃除機をふだんよりやや荒っぽくかけたりして、怒りややるせなさを放出する……

公表直後のツイートで、璃花子さんは〈私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています〉と綴られていたが、がんと5年間闘い他界したわが母の闘病記にも〈乗り越えられない試練はない〉と書かれていた。あるとき、困難に直面した大切なママ友の1人にこの言葉を贈ると、彼女は「一生涯忘れられない言葉だ」といって涙を流していた。

2つ目の〈自分に乗り越えられない壁はない〉というのは、一流アスリートならではの境地と思える言葉で、天からの声として大切に胸にしまい、今後の指標とさせていただこうと思う。そのお返しに、璃花子さんをはじめ、あらゆる病と闘う方々へ、〈あおいくま〉からの4つ目の贈り物――先般、K氏が届けてくれたエッセイの付箋の1つが、この詩のことが書かれた〈蝶と薔薇〉という項につけられていた――である以下の詩を贈りたい(*「乳がん」を「病気」とおきかえてご鑑賞ください)。

 

             転 身 
        ー蝶よりバラへー
 
            Dr.チャールズ・E・コックス


乳がんの診断を受けたばかりの患者さんは

まるで蝶のようだ

逆風のなかで 翻弄する

並はずれた美しさを身にまとった蝶――

その世にも恐ろしい体験の渦中で 

進むべき道が見あたらないときも

未知のゴールを目指し 蝶たちは突き進んでいく

その飛行は 滑らかで勇ましくもあるが

ときに早期の終焉にたどりつくこともある

 

だが その飛行を耐え抜き 生き延びたものたちは

種を守り抜く決意と義務によって変容する

その時点で 彼らはバラに生まれ変わる

威厳があって美しいが まだどこかはかなげで

蝶の時代に吸っていた 甘い花の蜜に満たされている

 

逆境によって産み出されたとげが 

生命維持のため 花に降り立つはかなげな蝶たちに

尽きることのない回復と庇護の源を与える

それは 私がこのうえなく尊敬する女性たちの

人生における華麗なる変容だ

 

いかにも それは転身である

絶望から希望へ――意義深い第2の生への変容において

ささやかだが 意味のある役割を演じることは

不屈の精神に対する日々の霊感であり

不変の誓約である

その局面へ入り込み

立ち去れない患者さんたちの悲しみを思うたび

私は 彼女らと共にがんと闘うこと 研究を繰り返し

勤勉に努力を重ねていくことを決意する

 

蝶やバラに囲まれて過ごすことは 喜びである

ときに混沌として 心痛むこともあるが

おおかたは美しい 価値のある時間である

人生は 誰の上にも悲しみや絶望をもらたす

 しかし 私は希望し続ける

われわれすべてが 人生のもう一方の産物である

美しさや希望ばかりを抱き続けることを

(日本語訳:Y.SAYA

 

この詩に関し、著者はエッセイのなかでこう述べている。

〈人生には困難や試練があるものです。その中にあるときは、まさに傷ついた羽で嵐の中を飛んでいるような、今にも飛行できなくなってしまいそうな、先が見えないときもあると思います。でも、その先にも希望があるのです。また、それを乗り越えたときに、それを乗り越えた人だけが得られる、美しい強さがあるのです。……〉

 

 *上記の詩は、小林麻央さんにも届いていました!

ameblo.jp

 

 

あなたらしく生きる

あなたらしく生きる

 

 

 

 

 

ポッシブルなミッション

朝、「行ってきまーす」と大荷物をしょって出ていったテラスが数分後にもどってくるなり、「たいへん、体育着がない」という。「えーどこだろう。干した記憶がないから、今まわしている洗濯機の中かな」とこたえると、「そんな~。じゃ、あとで学校のくつ箱に届けて」とかるく提案された。

小中学生の母親歴も9年目となるが、ずっとフルタイムで働いてきたため、いまだかつて学校へ物を届けたためしがない。(手順ガワカラナイ、面倒クサイ、恥ズカシイ……)などと頭のなかで言い訳をならべながら立ちつくしていると、「いいじゃない。どうせ暇なんだから」というキツ~い一言がとんできた。

「ひ、暇じゃないし。病院へ行ったり、銀行へ行ったり、片づけしたり、買い物したり……家にいるときだって体やすめて……そう、何もしていないようにみえても『治療』しているんだから!」

と、朝から頭をフル回転させうったえてみたが、15歳のJCクン「はいはい、わかったわかった」とこちらの頭を一瞬なでるような仕草をみせるやいなや、「じゃ、体育は3時間目だから。たのんだ」といいのこし〈くノ一〉のごとく消えてしまった。……

しかたなく、洗濯機の回転音をバックミュージックに家事をこなし、洗濯完了を告げる電子音がせまい家内にとどろきわたると同時に、ドラム内でヘビのようにからまり合うかたまりの中から体育着上下をひきはがし、ドライヤーで乾かしにかかる。

だが、思春期の子女に配慮して白地を透けさせないようにするためか、向かう敵はやたらと生地が厚く、対するこちらは竹槍同然の1080円くるくるドライヤー。甲高い音は響けどいっこうに「乾く」という結果に近づかない。ふと見上げると、壁にかけてあったサンフランシスコの絵葉書が目にとまり、頭に電気を灯したさゆり――身軽なスパッツにはき替え、乾かしかけの体育着をビニール袋に入れると、紫外線よけのうすい色のグラスをつけ、テラスの自転車にとび乗り出発した。

さゆりが暮らしていた当時、サンフランシスコのアパートメントにはほとんど洗濯機が備えつけられていなかった。そこで、1~2週間に1度、たまった汚れ物を大人1人優に入ってしまいそうな巨大なプラスティック・ケースに入れ、それを何個も積み上げた台車を押して街のいたる所にあるコインランドリーへ洗濯に行ったものだ。――絵葉書を見て、通学路をすこし外れた所に最新のコインランドリーができたことを思い出したのである。

この作戦は功を奏し、たちまち乾いてしまった体育着を必要以上に丁寧に折りたたみ、懐かしの母校をめざす。……といっても、われわれの時代には大荒れだった学校で、その印象をぬぐいきれなかったため、この地でJCになるのならテラスは越境させようと思っていた。ところが、小学校で仲のよい子らができてみると、離れたくないと本人から通告され……現在の様子を調べ、こちらが折れるという経緯があった。

三者面談等で出向くのはいつも日暮れ後だったため、なじみのない場所であればかなりとまどうシーンだが、そこは勝手知ったる母校――テラスが使用しているはずの「西の昇降口」は正門を入っていちばん奥にあるため、授業中であろう生徒の目にふれぬようにと外をまわり「西門」からの突入を試みたが、かつては開けっ放しだった門はかたく閉ざされ、制服をきたガードマンらしき人まで侍っている。しかたなく、通行人のフリをして素通りし、ふたたび正門へ。

門のまえに自転車をとめたとき、(もうこうなったら堂々と入るしかない)……と覚悟をきめ、それでもできるだけ窓辺の生徒の目につかぬよう、校舎と校庭の間ギリギリを全速力でかけぬける。――たどりついた〈くつ箱〉(われわれの時代には、何の疑念もなく〈下駄箱〉と呼んでいたが……)でテラスの朱色のスニーカーを探し出し、そこに体育着袋を押しこめ、また正門までひた走ること十数秒……

何かを盗ってきたのではなく、こちらの所有物を置きに行っただけなのに、なんでこんなにドキドキするのかと訝しがりながら、 ”Mission Completed” と声に出してつぶやく。そしてテラスのおさがりの赤い手袋を、両手の指をピンとそろえて真上に外し、映画スターさながら首を横に傾けながら恰好よく色のうすいグラスを取り外すと、ハードボイルドな世界に別れを告げる……

緊張感から解放された後はすこし探検したい気分となり、自転車を押して家とは反対の方角へ。平日の東京の住宅街は、おどろくほど年齢層が高い。若い夫婦は共働きが増え、子供たちは保育園に集められているから、街はシニア天国。なかにはかつての精肉店や文房具店の「おじさん」もいて、「たちまちたろうはおじいさん~」というあの歌は現実をうたったものだったのかと、時の過ぎゆく速さをしみじみと思いやる。……

途中、のどが渇いて立ち寄ったマクドナルドでは、いくつものお年寄りのグループが男女で楽しそうに店を占拠しているのに目をみはったが、「いらっしゃいませ」と笑顔で近づいてきた制服のお姉さんまでさゆりよりはるかに「お姉さん」で、なんだかまた別の映画の世界へまぎれこんでしまったような、これまたワンダーなホームタウン探検だった。

(*写真は、探検ツアー中に見とれた花壇のパンジー。なぜか1人だけ、陽に背を向ける花の心持ちが気になった。黄色いパンジー花言葉の一つは「つつましい幸せ」)

 

 

 

 

 

日立 全自動洗濯機 7kg ピュアホワイト NW-70B W

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ゆっくり急ごう

仕事を休業して2週目――さまざまなことが一ぺんに起こり、ある種のショック状態だった1週目とは違い、気分は上向き傾向。おそらく、病の原因となった1つ目の災難(パワハラ環境)から離脱したことが、心身の状態に大きく影響しているのだろう。

といってもまだ、自分の身に起こったことを整理して考えたり、次の一手について冷静な判断ができる状態ではないため、とにかく今まで信頼し長く交流を重ねてきた人たちの指示・助言にしたがおうと、玄関先においてあった古い物入れを処分し、春にJKになる(予定の)テラスが鞄をしょったまま出入りできるスペースを確保したり、窓際の家具を移動して片面使用だった窓を両面どちらも開けられるようにすると、とたんに部屋に光があふれ、気分もさらに上昇⤴……

つづいて、ベランダの花を植え替えようとすこし遠くのホームセンターへ徒歩で出立。可憐な花々をながめ、その中から予算にあったものを購入し、さらに気分をよくした帰り道、思わぬダウンにみまわれた。正午を回ってしまい、おなかがすいてきたので地元では名の知れたチェーンのパン店に入り、コロッケパンと紙パック入りのコーヒー牛乳をピックアップ。店内に飲食スぺースがあったため、「こちらで食べます」とレジのお姉さんに告げたところ、

「すみませんが、こちら(紙パック飲料)は店内飲食対象外商品となります」

とのこと。「なぜですか?」とたずねると、うしろから視線を送っている先輩格の女性をチラッとふりかえり、「%&#@……」としどろもどろ。「……じゃ、外で食べるから持ち帰りで結構です」というと、こんどはコロッケパンを指し、「……あ、こちらは店内でお召し上がりいただけます」という。「飲み物がないと食べられないから持ち帰りで結構です」とこたえると、不思議な生物でも見るような目で送り出された。

このとき、店内にパンを購入する客はいても、飲食スペースはまったく利用されていなかった。おそらく、紙パック飲料の3倍の値段のする店内用の飲み物を注文させることが目的と思われるが、これでは林立するコンビニエンスストアには対抗できない。それに、どんなに凝ったラテアートやトッピングをのせてもらったとしても、さゆりは紙パック入りのコーヒー牛乳が飲みたいのだ。

きわめて日本的な、不可思議なルールに首を振りつつも、「これはきっと、幸福な昼食をとるために、さらに適した場所へ誘われるための伏線にちがいない」と最大限ポジティブに解釈し、足どり軽く店を後にする。

駅前の交差点をふだんあまり通らない側へ渡ると、川に行きあたった。川沿いにさらにすすむと、まるで夢のなかに登場するような小高い丘があらわれ、その頂上付近の公園に、冬にしては暖かな陽射しがふりそそぐ木製のベンチを発見――(ここだ!)と心の中で快哉をさけび、スキップして近づく。葉の落ちたはだかの木々に囲まれた暖かい陽だまりで幸福な昼食をゆったりととり、やわらかな陽射しのなかで、〈あおいくま〉と化したK氏から手渡されたエッセイを開く……

青い付箋がつけられていた箇所の1つに、〈「気球の旅」のススメ〉という項があった。あらかじめ時刻を調べ、綿密に予定を立てたうえで列車や飛行機を乗り継いできた人が、ふと「何のために急いでいるのだろう」とたちどまる場面が人生には訪れる。そのとき、思いきって「気球」に乗り換えて、風の吹くまま進んでみるのはいかが、と著者はとりわけ、〈妻・母・子・社会人としての自分……〉と何役もこなしながら現代を生きる女性たちに提案している。曰く、

〈鉄道の旅のようにレールがあって次の停車駅があって終点があって、と思うから苦しくなるのではないでしょうか。気球に乗っていると思えば、風が吹いて、ちょっと進路が変わることもある。こっちに風が吹けば、じゃ無理にあっちに行かないで、こっちの景色を楽しんでもいいかもしれない、なんて思えて気持ちが楽になるのではないでしょうか……〉

この項をあらためて読み返したとき、脳裏に浮かんだのは、米国生活で時おり耳にした "Festina Lente" というラテン語 (「ゆっくり急げ」。英語では "Make Haste Slowly")である。手元のスマートフォンであらためてその意味を調べてみると、ウィキペディアに下記のような記述があった。

〈「求める結果に早くたどりつくには、ゆっくり進んだほうがよい」、また逆に「歩みが遅すぎると求める結果が得られない」を同時に意味するとされる〉

そのときひらめいたのは、〈歩みが「速すぎる」と求める結果が得られない〉もまた真なりでは――という考えだった。すると突然、目のまえのむきだしの地面に在る枯れ木と枯れ葉の「あるがまま」の姿が、まるで一期一会のアート作品のように心に迫ってきて圧倒された。……

それが、さゆりが「気球に乗り換えて自分再発見の旅に出ること」「ゆっくり急ぐこと」を心に誓った瞬間だった。

 

 

あなたらしく生きる

あなたらしく生きる

 

 

 

 

あおいくま〈New Version〉

長らく「お会いしたいですね」とたがいに綴り合っていた人が、東京近郊の地で開かれる研修会の帰りにかけつけてくれることになった。――以前、広報を担当していた医療機関で直属の上司だったK氏である。

ふだんなかなか会う機会がなくても、心が弱ってくると無償に恋しくなる、陽だまりのような人がいる。まさにK氏はその1人。ころ合いよく研修会の話が出たため、さゆりの窮状をミニマムに簡略化して告げると、「さゆりさんの暮らす町へは研修会開催地からバスで1本で行けるから、とにかく駆けつけましょう」との返事がかえってきた。

ちょうど学校から帰宅して勉強を開始したテラスに行先を告げ、地元では人気のあるR珈琲館で落ち着いた席を確保し、本をひらいて待つこと10分。ほぼ時間通りに店にあらわれたK氏は、さゆりを見て、陽だまりのイメージにぴったりのやわらかな表情で微笑んだ。

「……で、これなんですけれどもね」と、向かいの席につくやいなや、メニューをひらく間もなく、K氏は語りはじめた。「さゆりさんが窮地だと聞いて、やはりこの本に起死回生のヒントがあるように感じて……今朝あわてて鞄に入れてもってきたんです。今、バスの中で読み返しながら来たんですが……

かつてランニングシューズをはいて大地を力強く蹴り上げるアスリートだったK氏の大きな手でとりだされたのは、おなじ職場にいたころ、苦境にたち向かうK氏になにかヒントがあればとさゆりが紹介した1冊のエッセイだった。

「よい本だったので、けっこう持ち歩いて、1度は水につけてしまって、こんな風になってしまったんですが……とりあえず、ざっと目を通して、今のさゆりさんに必要だとひらめいた頁に印をつけておきました」――かなり読みこまれた風の体裁の本に、青い付箋が5枚貼られている。その中の1つが〈あおいくま〉の頁だった。

〈あおいくま〉――それは、上記エッセイに出てくる、やはりシングルマザーであったものまねタレント、コロッケのお母さんが、〈あせるな・おこるな・いばるな・くさるな・まけるな〉の頭文字をとった「あおいくま」という言葉を子育て中いつも部屋に貼っていた、というエピソードにちなんで書かれた項である。

「それでね、バスの中でさゆりさんのことを一心に祈っていたら、ふっと降りてきたんですよ~New ヴァージョンの〈あおいくま〉が――。頭から消えてしまう前にあわてて名刺の裏に書きとめたんですが、バスを降りるときにどこかにしまいこんじゃったみたいで……あとで渡しますね」

そこまできてようやくメニューをひらき、ケーキセットを2つ注文後、さゆりの騒動記やK氏の近況について語り合う。時間はあっという間に過ぎ……帰りのバスの時刻がせまると、K氏はスーツや鞄のポケットや手帳の間をまさぐり、ようやく「ああ、よかった。なくなっていなくて」といって、1枚のカードをまるで天からの使いのように、うやうやしくさゆりにさし出した。表にK氏の名前が印刷されているカードをめくると、

〈あ ありがとう

 お おかげさま

 い いつも

 く くじけず

 ま まえむいて〉

と、裏面に美しいブルーインクの文字で走り書きされていた。

ここちよい興奮のなか、家へ帰りつくなり、出てきたときとおなじ姿勢で勉強中のテラスに〈天からのメッセージ〉を伝え、名刺を見せる。それをいったん手にとったものの、「ふうん。よかったね」といういつもの(低めの)リアクション。なんとか注意をひきたくて、「一瞬、Kさん自身が天のお使いの〈あおいくま〉に見えたんだよね~」との感想もつけくわえてみたが、それには「フフフ」と笑みをこぼしたものの、すぐに読みかけの英語長文読解の世界へひきもどってしまった。

ところが――その翌々日、外出先からもどると、「すこし遅れたけど、お誕生日おめでとう」とテラスの字で書かれたカードとともに、ちいさな袋が居間のテーブル上に――。中から出てきたのは、熱いハートを胸に宿した〈あおいくま〉のキーホルダーだった。

 

 

あなたらしく生きる

あなたらしく生きる

 

 

母さんの「あおいくま」

母さんの「あおいくま」

 

 

通じ合う心

叔母の作品が日展の書部門に入選した。招待券を送ってくれたので、これは見にいかねばと、商社時代のF先輩を誘い、六本木の国立新美術館へ。

このツアー、直前になって道連れがもう1人ふえた。さゆりはその前後、恋人と別れたばかりで「時々心がざわつく」となげく友人TK嬢に「24時間いつかけてもいいから」と伝え〈命の電話〉担当となっていたのだが、前日、「やっぱりざわつく」と電話してきた彼女を放っておけず、F先輩にことわって六本木に連れ出したのだ。

もちろん、2人は初対面。ところがF先輩、会ってすぐさゆりに「パンを焼いてきたの」と「これが〇〇パン。こっちが〇〇ロール。こっちはすこしかたいから、先にこっちから食べるように」と、いつも通り念入りな説明とともに紙袋を丸ごと手渡すと、肩にしょってきたバッグからもう1つ同じ大きさの紙袋をとり出し、「はい、こちらはあなたの分」とまるで何十年来の知己のようにTK嬢にさし出した。

「え?」と目を見ひらき、さゆりを振り返るTK。桃太郎のさいしょの家来となったイヌの気分で「そういう方だから。遠慮なく」とエッヘン風を吹かすと、紙袋をひらいて作りたてのパンの香りを胸いっぱい吸い込み、ここしばらく見ることのなかった幸福そうな笑顔を見せた。

「とつぜん3人になったのに、パンまで作っていただいて、本当にありがとうございます」

せっかくだからと開館前からならんで入ったピエール・ボナール展の雑踏のなかで礼を述べると、F先輩はなんのなんのと手をふり「なんだか今日は〈あと1人誰か来る〉って、そんな気がしたのよね~」といって笑っていた。

その後、日展エリアへ移動。数ある展示会場をゆっくり見て回り、IKEAのそれのような粋なカフェテリアでパスタ・ランチをすませるころには2人はすっかり意気投合。さゆりをとび越して次回のワインの会のお誘いまで受けてしまったTK嬢、「かっこいいね~」「素敵な人だね~」とすっかりバブル期の〈デキるOL〉の象徴のようなF先輩のとりこになってしまった。

「2人とも、詳しいことは知らないけど、とにかくじめしめした空気をふりはらって、よい〈氣〉を呼びこむことが大切よ。そのためには、まずは呼吸法。はい、ここにならんで。鼻から息を少しずつ息いれてお腹にためてって……そう、もっと、もっと……」日展終盤のすさまじい人ごみをもろともせず、美術館のロビーでF先輩の〈氣〉のレクチャーはつづく――「はい、じゃ、口から吐いて~そう、長く~さいごまで~」

さらに、ようやくあいた椅子にTK嬢をすわらせ、足もとにうずくまっての足のマッサージ――「こんなに冷たい足してちゃダメ。手足が温まってないと、よい〈氣〉も逃げてしまうの。お風呂でしっかり温まって、こことここのツボを自分で押すようにしてみて」恍惚感にひたるTK嬢の目が、ほのかに光っている。「誰かが誰かの愛を受けている光景っていいな~」と、さゆりもなんだかよい〈氣〉が充満してくる思い……

商社時代、誰よりも厳しかったF先輩――だが、あとからふり返ると、〈仕事の基本〉というものを、この時期にしっかりたたきこまれたように思う。それが見えない財産となって、日本はおろか海外でさえ、その後どれだけ役に立ち、助けられたことか……ほんとうの愛とは厳しさなのだと、さゆりに教えてくれたのはほかならぬこのF先輩だった。

「はい、じゃ、さゆりちゃんのマッサージは次回ね。家にいる時間ができたんだったら、まず断捨離をして、家の中の風通しをよくすること。部屋にありったけの太陽の光をとりいれることが大切よ。とくに玄関と窓辺は広くあけて。それから深呼吸を毎日。できるだけ新鮮な〈氣〉の入った食べ物を選んでとるように」

そういって、F先輩はコートのポケットに手を入れたまま、大判のスカーフを風になびかせ、六本木交差点方面に向かって颯爽と去っていった。

(*写真は、F先輩のイメージとかさなるムスカリ花言葉の1つは「通じ合う心」)

 

 

Pierre Bonnard: Painting Arcadia

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病気の国籍

帰国以来、半年に1度の割合で定期検診のため「参拝」している乳腺外科医のP医師は「一見のらりくらりとした切れ者」(まさに名優、緒形拳演じる大石内蔵助!)といった感じの人物だが、瞳の奥にともる光がほんとうにやさしくて、診察室にとびこんだだけで胸の奥がじんわりと熱くなってしまう。

何もないときであれば、変わらぬ笑顔に迎えられた瞬間、「もう半年経ったんだ~」としみじみ思うところだが、直前に激震が2つも走った今回は、「命からがら、たどり着きました~」とその間合いまで長く感じられ、落ち武者気分で感慨もひとしお……

「なんだか大変だったね。で、S病院から資料とかいただいてきた?」

あらかじめメールで事情を報告し、「その感じだと血液内科へつなぐことになると思うから、そちらの科のA医師宛に紹介状をもらってきてください」と指示を受けていた。S病院で渡された「資料一式」の入った封筒を渡し、診察台にあおむけに横たわっていつも通り胸の触診を受けながら、P医師の気さくなよもやま話に耳を傾ける――

P「こんど出張でアジアの〇〇へ行くんだけど、蝉とか昆虫とか食べさせられそうで怖いなあ」

S「あれ、先生何でも召し上がりそうですけど。でも、小学校の頃なんかもいましたよね、給食で出るクジラの肉とか食べられなくて、ベストの襟の内側にビニール袋つけて、そこへ落としたりする子……」

P「あ、僕もそんなようなことやってたよ。肉が嫌いだったから、食べたフリして引き出しにつめておくものだから、そのうちミイラ化して元は何だかわからないようなものが引き出しの奥から大量に出てきたりして……」

S「やだ~先生。そんな少年だったんですか?」

手早く触診を行いながら、NK細胞が倍増しそうな話題をふりまき、「はい、じゃ、服着ていいですよ」と、いつもの手順で肩をポンポンとたたく。カーテンの内側で身支度をととのえていると、アップテンポなキーボード音を軽快に響かせながら、歌うようにP医師はつづけた。

P「でも今回の病気って、名称(英語名)の響きが可愛らしいから、そんなに怖い病気じゃないんじゃないかな」

S「病気の怖さって、響きで決まるんですか?」

P「だって『名は体を表す』っていうじゃない。……あの響きはイタリア系かな?」

S「病気に何系とかってあるんですか?」

P「ふうん、ま、いずれにしても、ラテン系ならきっと、おおらかで明るい病気だね」

S「病気におおらかとか、明るいとかってあるんですか?!」

とかく沈みがちな古株患者の心をなんとか浮き上がらせようと努めながら、それでもさいごは凛とした表情にもどり、「はい、乳腺は今回も問題なし。じゃ、血液内科の予約、来週入れときましたから。僕の方は半年後……う~ん、でも心配だから、やっぱり今回は3か月後にしておこうかな」としめくくる。そして自身の膝に手をおき、おもむろに立ち上がると、「幸運を祈ります」と手をさしだされ、握手をして送り出された。

帰国以来、かれこれ10年以上の「おつきあい」ではじめての握手……そこに、ふだん以上に明るくふるまっていた主治医の、言葉にあらわれない胸の内が凝縮されているようで、「あの響きはイタリア系かな?」という問いの可笑しみの余韻とともに、じんわりとした切なさののこる定期検診だった。

(*写真は「人種のるつぼ」サンフランシスコの壁の落書き)

 

 

 

 

 

NK細胞増殖作戦

先日、弟のバースデーに「お誕生日おめでとう」とメールを送ったら、「ありがとう。40+〇歳になりました」と返事がかえってきて、思わず飲みかけのコーヒーにむせてしまった。私が大学に入ったとき、まだ小学生だったのに……いくつになっても(尊敬もする反面)「かわいい」といった気持ちが抜けないのは、一番印象的だったころ(弟の場合、半ズボンで雪だるまをつくっていた時代)で〈印象年齢〉が停止してしまっているからだろう。

わが家のJCツンデレ娘もしかり。元伴侶が 身長2m 近くある大きな人だったため、中学生にして日本人女性の平均より大きなさゆりを見下ろすまでになってしまったが、さゆりの心の鏡にうつる姿はいまだ、保育園児サイズのままである。

まだおむつがとれて間もないある日のこと——部屋を掃除していたら、異臭を放つ白いビニール袋が出てきた。中をのぞくと得体のしれない茶色い物体が……「何だこれ?」と思わず鼻をつまみながら捨ててしまったが、翌日、仕事帰りに保育園にかけこむと、ローテーションでしばらく姿の見えなかったベテラン保育士さんが出てきて、

「テラスちゃんママに話したくて……先週、みんなで手をつないで『公園に秋を見つけに行こう』ってお散歩に出たら、テラスちゃんが色つや美しいまま地面に落ちた椿の花を『これ、すっごくきれいだからママにあげるの~』って一所懸命ひろいあつめてて……なんだかジーンときてしまいました」と告げられた。

あ、あの「茶色い物体」の正体はそれだったのか……と、青くなるさゆり。家へもどり、足先までくるまれる米国製のカバーオール・パジャマに着替えてホットミルクを飲むテラスに、あらためて保育士さんからの話を伝えて礼を述べると、「そう、とってもきれいだったの。どっかいっちゃったけど、またとってきてあげるね」とにっこりしていた。

その娘もめでたく反抗期をむかえ……ツンツンとんがっているときは「あたりがキツイなぁ」と思ったりするのだが、1人でテレビを見ている時など、「鈴を転がすように」とにかくよく笑う。イヤフォンつけて勉強中も、何を聴いているのか、とつぜん笑いだす。夢の中でも楽しいことがあるらしく、暗闇のなかでとつぜん「アハハハハハ」と大笑いされ、明け方起こされてしまうことも……

昭和期の中頃、〈笑い袋〉というグッズが流行ったことがある。布製の袋に内蔵されているボタンを押すと、思わずつられてしまうような笑い声が延々響いてくる、というおもちゃなのだが、まるであれと暮らしているような気分。ふと心が落ちこんだとき、寝ざめのよくない夢を見たとき、はたまたなかなか寝つけない夜も……この一発でなんとなく楽しくなり、本当にNK(ナチュラルキラー)細胞といったものが増殖してきそうなまでに回復してしまう。

そのお返しに……と、生来の天然ボケパワーを発揮し、ツンツンモードの〈笑い袋〉くんにスカッとした一撃を食らわそうと機会をうかがっていたさゆり——すると週末、絶好の機会が訪れた。塾からもどり、早夕食をとってまた塾へもどるというスケジュールのなか、カリカリモードでテレビを凝視したまま無言で箸を動かすテラス……ひと皿だけしかないおかずが足りないといわんばかりにひじき煮の容器を勢いよくあけたとたん、中身がはじけ飛び、黒いかたまりがさゆりの白いルームウェアの足のつけ根あたりにもさっと着地した。

「……なんか、エッチっぽくない?」

箸をとめ、自分の下腹部をチラッと見て放ったさゆりの一言で、ホビットの家は大爆笑の渦に——。肩を震わせながらテラスが出かけてしまったあと、なんとなく心弾む思いで家事のつづきにもどったさゆりの脳裏に浮かんだのは、寒空に灯をともすように咲く、あでやかな椿の花だった。

 

 

 

ハイ!調製豆乳

 

 

びっくり 笑い袋 セット 大小

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